

日時:2025年9月27日(土)13:30~16:15
会場:新潟日報メディアシップ2階 日報ホール
新潟日報みらい大学「ともに創ろう! にいがた ものと暮らしの物語」第2回公開講座「『食べる』と『もの』の物語」を9月27日(土)、新潟市中央区の新潟日報メディアシップで開催しました。料理研究家の土井善晴さんが「一汁一菜からはじまる楽しみ」と題して基調講演。トークセッション「『食べる』と『もの』作り手の想い」では、県内の食に関係するものづくりの担い手3人が登壇、そのルーツや製品への思い、今後の展望について意見を交わしました。会場、オンライン合わせて約430人にご参加いただきました。

基調講演
『一汁一菜からはじまる楽しみ』
講師/料理研究家 土井善晴さん
20歳の頃にスイス・ローザンヌのホテルのレストランに入りました。それから何年たったか。ずっと料理をしてきましたが、今が一番楽しいです。家の料理をしているから。
料理とは何か、なぜ料理をするのかを考えていったら、一汁一菜に行き着きました。みそ汁とご飯と漬物が基本。毎日食べても飽きません。
だしも昆布やカツオばかりじゃなく、トマトやタマネギの皮など全ての物から栄養素、うまみが出てきます。具だくさんにすれば、総合的においしいみそ汁ができる。何を入れても
よく、二度と同じ物は作れない。一椀(わん)の中に無限の変化がある。その違いを自分で見つける「探し味」が日本ならではのおいしさです。

2013年に、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に「和食」が登録されました。日本は暮らしの中にいい物があり、私たちの暮らしの料理が無形文化遺産になっている。
自分が工夫して食べるのが本来の料理です。みそ汁とご飯なら家族全員、誰でも作れます。それぞれが、いつも自分がやろうと思っていればいい。面倒くさいと思ったら負けで、無限の楽しみがあります。そうした世界があることを知ってほしいし、毎日楽しくて仕方がない。(一汁一菜なら)洗い物もすぐできます。そのような生活の瞬間に美しさがあります。
私がX(旧ツイッター)に上げる料理を見て、皆「きれい、おいしそう」と言ってくれます。一汁一菜は変わらなくても、器を選んでいるからですね。日本の料理は美しさ、おいしさを器に依存しています。器を選ぶことも料理になるのです。
食材を選ぶ基準は、季節ごとに何があるかを知っておくことです。例えば、今の時季に五泉市の里芋が出てきたら「おお。一年ぶりやな」と、久しぶりに会った人に声をかけるように巡り合いを楽しむ。同じ野菜でも、一つの季節で初物、盛り物、名残物と変化があり、料理も違います。変化に自分で気が付くことが大事です。


※基調講演の最後は会場からの質問コーナー。質問してくれた皆さんへ土井さん自らプレゼントの著書を手渡していただきました。
<どい・よしはる>
1957年、大阪府生まれ。スイス、フランス、大阪で料理修業し、92年においしいもの研究所を設立。「一汁一菜」を提唱している。
トークセッション
「食べる」と「もの」 作り手の想い
パネリスト/
《金属加工》江口 広哲さん 一菱金属株式会社 専務取締役(conte事業部)
《秋葉硝子》照井 康一さん 合同会社 ブローイング レーヴ、硝子作家
《安田瓦》 遠藤 和人さん 安田瓦協同組合 理事長、
丸三安田瓦工業株式会社 代表取締役社長
コーディネーター/
山田 孝夫 新潟日報社論説編集委員

-まず自己紹介を。

江口さん)
燕市の金属加工メーカーで企画開発を担当しています。2016年に調理器具の自社ブランド「conte(コンテ)」を立ち上げ、企画から製造、販売までを手がけています。

照井さん)
新潟市秋葉区新津にあったガラス工場を引き継ぎ、2014年に「秋葉硝子(ガラス)」を創業しました。経営は合同会社ブローイングレーヴが担い、スタッフ5人で頑張っています。

遠藤さん)
安田瓦の産地、阿賀野市で瓦の製造販売と屋根への設置工事をしています。10年ほど前からは、瓦職人の技術を生かした食器作りに取り組んでいます。
-産地の伝統のルーツと現状について。
遠藤さん)
安田の瓦作りは江戸末期頃、越前瓦(福井県)の職人が製法を伝えたとされています。寒さに強く、冬に性能を発揮するのが特徴です。住宅事情の変化などでメーカーの廃業が進み、日本最北端の瓦産地になりました。どの産地も経営環境は厳しい。屋根に瓦を設置する職人も地方ほど足りていないのが現状です。
江口さん)
燕三条のものづくりは江戸初期の和くぎ生産に始まります。特に燕は明治時代に金属洋食器を、戦後は家庭用の調理器具を生産し、世界的な産地になりました。分業が発達し、町全体が工場のような仕組みで強みを発揮してきましたが、海外との競合などで大量生産が成り立たなくなりました。後継者不足など課題もあります。
照井さん)
新津では明治から昭和初期に石油が採れ、その際に吹き出す鉱物ガスを燃料に求めて各地からガラス職人が集まりました。最盛期には工場が16軒あり、日本有数の産地でしたが、多くが個人経営で記録や資料がほとんど残っていません。製造拠点が海外に出て日本中の産地が影響を受けました。

-現在の取り組みを紹介してほしい。
照井さん)
私のスタートは民芸です。何とかして産地を残したいと長く普段使いの器を作ってきました。ガラスが好きなのも理由です。最近、障害者の就労支援施設と、ギリシャのアーティストから工房を活用したいとうれしい申し出がありました。工芸製品とは違った、面白い仕事ができそうで楽しみです。
遠藤さん)
新しい事業の柱にしようと始めた食器作りは、瓦屋の技術を生かし、瓦と食というニッチの市場を狙っているものです。組合としては、2年前にオープンした観光施設「かわらティエ」で瓦の魅力を発信するなど、産業を通じた観光に力を入れています。
江口さん)
「コンテ」は私を含む3人で企画開発し、自社工場で作って直接小売店に卸しています。第1弾はステンレス製ボウル。見本市やイベント、デザインコンペに参加し、ブランドを伝えています。産地全体では、工場を開放して職人の技術を見学できる「工場(こうば)の祭典」を続けています。

-作り手として考える「暮らしともの」のあり方とは。
江口さん)
商品の背景、作り手やお店の人の思いに触れて手に入れた道具は、使うほどに愛着が増します。作り手の役割は、見た目の良さだけでなく、長く暮らしに寄り添えるデザインの道具を提供し続けること。思いを国内外に発信して、次の世代につなげたいです。
照井さん)
原点はものづくりですが、最終的には人との関わりが一番大事。今後は楽しく制作することに力点を置きたいです。同じ波長の人たちと出会い、その輪が広がって新たな展開につながるといいなと思います。広域的に産地が協力し、体験型の産業観光にも取り組んでみたいです。
遠藤さん)
日本の原風景というと、私は瓦屋根を思い浮かべます。街の景観に占める瓦屋根の割合は結構大きいと思っていて、その景観を守りたい。昭和30~40年代に37軒あった関連事業者は6軒になりました。安田瓦の灯を消さないよう頑張っていきたいですね。


同時開催!みらい大学マルシェ~食にまつわる道具たち~
公開講座に合わせ、県内のメーカーや職人が手がけた食器や調理器具を展示販売する「みらい大学マルシェ~食にまつわる道具たち~」を開催しました。
会場の新潟日報メディアシップ1階のみなと広場には、燕市の金属洋食器や村上市の村上木彫堆朱など11のブースが出店。特色ある食の道具が並び、来場者は製作工程や手入れの方法などの説明を作り手から聞き、商品を手に取っていました。




























